別海物語

別海物語

Betsukai Hospital Blues           Dr.山内 作詞・作曲

夜の街にゃ キツネ歩いてるぜー
香川県ほど この町ひろいぜー
24時間眠らぬところもあるぜー
朝も昼も 夜もはたらくぜー
ほかの町の 患者さんよく来るよー
ここは別海みんなのHospitalBlues
そんな時間があれば飲んでいるぜー
休日も働く別海HospitalBlues
道のまん中 牛や馬いるぜー
鹿がときどき 車ぶっこわすぜー
運転者が救急車で運ばれる
サイレンの音 だんだん近づくぜー
これからアタイの 腕のみせどころ
ここは別海みんなのHospitalBlues
顔も洗えず 化粧もできず
点滴さして  バルーンを入れて
時間との勝負のこともあるんだぜ
遊ぶ暇ない別海HospitalBlues

別海町を知ったのは10年ほど前になる。
その頃は赤羽にある東京北医療センターに勤務していた。
母体は公益社団法人地域医療振興協会だ。
ある時理事長(自治医科大学卒業生で1学年先輩)から、”別海町立病院からの要請に応じて、小児科と外科の医師を派遣する案件を検討するように”との話がもたらされた。
公益社団法人地域医療振興協会の使命である“地域医療機関への診療協力”の実績は、  それまでにも伊豆の湊病院・福井県の丹南病院・岐阜の恵那病院など経験してきた。
ただ、北海道道東からの派遣要請は初めてのことであり、別海町は道東にある日本一大きな町で香川県より広いと聞かされた。
ニュージーランドは人より羊が多いことが話題になるが、別海では人より牛が多いらしい。
北海道道東と云えば網走・知床・根室は訪れ、帯広には滞在したことがあるものの、別海は初めて耳にする地名だった。
理事長に“どこらあたりの町ですか?”と質したが、あまり適格に推定できない返答だった。
知床と根室の間の広大な町で、牛乳と自衛隊基地のある町とのことだった。
25年ほど前に、家族4人で帯広の浦幌から釧路経由で阿寒湖、屈斜路湖、
知床~根室~帯広とドライブしたから通過したはずだが、その町名に覚えは無かった。
結局、初回派遣に応じることにした。 先ず“隗より始めよ”だ。
中標津空港から迎えの車で40分くらいだった。
小川の流れる脇の広大な土地に建つ木造の町立病院が目に入ってきた。
わたしが、かつて勤めていた徳島県南の町立病院と似ていた。
ただし故郷のそれは海に面していて、山が迫っていて、僅かばかりの敷地に建つ病院で
しかなかったが…。
病院脇には2階建ての立派な職員住宅があり、快適であった。

新しい人との出会いは数多くある。
ただ、その後どのように発展するかは“神の気まぐれ”かもしれない?
この時の別海病院には8人ほどの常勤医がいたが、到着した夜は病院職員の多くが参加
した歓迎会を催してくれた。
私の隣は、産婦人科医長の山内修先生が着席されていた。
私の自己紹介と常勤医師そして主要職員の挨拶の後には、町長さんからも支援に対して 謝意が述べられて、乾杯と歓談となった。
山内先生は人懐っこい笑顔で、人見知り気味(?)の私に話しかけてくれた。
歳は私より2~3歳上とみた。
『先生はどこの出身ですか?』
⇒『四国の徳島です』
『えっ! それは奇遇ですね。 うちの家内は隣の高知県出身なんですよ!』
先ずこれで仲良くされそうな気になった
『音楽の趣味はありますか?』
⇒『時に演歌や石原裕次郎の歌謡曲を口遊むことがあります。大昔(中学校時代)に吹奏楽部のピンチヒッターでトランペットを吹いていたことがありますが、今は何の楽器も扱えない不器用者なんです~』
『私はオペラの大ファンで、家には100枚を超えるオペラのレコードを揃えていて、夜な夜な楽しんでいます。オペラっていいですよね! ロックも好きだし、ギターを弾いて作詞・作曲も楽しんでるんですよ!』
ちょっと距離が開いたような気がした
『映画なんてぇ~のは、好きですか?』 少し酔ってきたかな
⇒『大好きですね グラディエータ・ショーシャンクの空に・パピヨンなどなど感激した映画です。映画は必ず一人で行くんですよ。感動する場面では思いっきり泣きたいから、ちょっと恥ずかしいけど』
『私も映画な大好きなので、2時間ドライブして釧路の映画館に行くことがあるんですが、最近はドライブが面倒になって来て封切の映画を見られなくなってきているんですよ。
情熱の欠乏か年を取ったせいかな? でも別海の街にもレンタルビデオ屋さんがあるんで、ちょっと待てば話題の映画は観ていますよ!』
また近づいた
『小説読むのは好きですか? 私は恋愛小説や推理小説が大好きで、別海の本屋さんでは物足りず、釧路に出かけた時には必ず本屋さんに寄って話題の本を買ってくることにしてるんですよ。 夜中にオペラを聞きながら恋愛小説を読むときには幸せを感じますよね!』
⇒『私も本を読むのが大好きで、日本の時代小説は藤沢周平・司馬遼太郎・池波正太郎・葉室麟など読み尽くしたのですが、乙川優三郎など若手が出てきて楽しみにしているんです。海外の推理サスペンスも大好きです。が、モロ恋愛物語は映画もそうですが苦手だなぁ~』
距離感微妙
『酒を飲むのも好きで、ビールからワイン、ウィスキーまでなんでもいけるんです。休みの日の夜、家内と一緒に白ワインを楽しんでいます。勿論オペラを聞きながら』
⇒『私はウィスキーが一番好きで、夜ジャズ(こだわるほどの知識は無く、なんとなくの雰囲気に浸っているだけ)を聴きながら、ウィスキーのストレートをグビグビやって、
翌朝ちょっとだけ後悔してしまう欠点があるんですよ!』
仲間意識は固まった

3泊4日の支援だったが、私が行ったときは必ず山内先生が食事に誘ってくれた。
繁華街方面とは反対方向の“双葉”と云う寿司屋がいつもの場所となった。
寿司以外にもいろいろ出してくれるお店で、オヤジさんの気さくさが魅力だった。
道東では有名になっていた“ジャンボホタテバーガー”発祥のお店だという。
何とも個性的な寿司屋さんなのだ。
山内先生同様仲良しになって、その都度東京のお土産をお店に持参するようになった。

支援二日目には、午後半日フリーな時間があった。 しかも病院のセダンが借りられた。
派遣で別海を訪れるたびに、どこに行こうかと計画を立てながら楽しみにしていた。
先ず勧められたのは、60Km離れた“野付半島”観光だった。先端で車を降りて更に歩くこと20分で、トドワラ(立ち枯れたトドマツ林の跡で、トドマツの残骸が湿原上に立ち残り、見たことのない荒涼とした特異な風景を形作っていた)に驚いた。ここから16km
ほどの海の先には国後島が望めた。
“摩周湖”は、ほぼ真っすぐの一本道70Kmだった。冬に訪れたこともあり、雪に囲まれたその素晴らしい展望台からの風景はアルバムに残っている。
根室の納沙布岬までは、太平洋を目指し30Kmで厚岸を左に折れて更に50Kmで到達した。
これより15年前に家族で訪れた時に『もう二度と来ることは無いだろう』と思ったのだが、結局その後4度も訪れる機会に恵まれた。
知床半島の羅臼を右折し太平洋側に沿って更に1時間走ると、日本最東端の温泉“相泊(あいどまり)温泉”に辿り着く。岩だらけの海岸沿いに小さな脱衣場があった。
この日は誰もいなかった。タオルを始め入浴セットを持って来なかった(温泉だからきっとあると先入観から)ことを思い出した。
素っ裸になって、足元の岩や石ころに気を付け乍ら30m先の海に接して掘られた温泉に
浸かった。
洗い場はなく湯に浸かるだけだが、目線に海が広がる風景は十二分に“来てよかった感”が漲った。
着ていたTシャツで身体を拭いて、絞った後またそれを着て運転台に座った。

羅臼まで来たときにふと高校時代の一場面を思い出した。
学園祭の出し物に演劇部の【ヒカリゴケ】というのがあり、きっと熱心に見たのだろ、
記憶が強く残っていた。
【ヒカリゴケ】は小説家の武田泰淳が1964年に発表した作品とあった。
雪と氷に閉ざされた北海の洞窟の中で、生死の境に追いつめられた人間同士が相食むにいたる惨劇を通して、極限状況における人間心理を真正面から直視した問題作だ。
その北海の洞窟のモデルとなったと云うのが、羅臼にあった。
その洞窟を訪ねて行ったが、まだ日が残っていたためか覗き込んでも〈ヒカリゴケ〉は
光を放っていなくて確かめられなかった。
しかしいかにも遭難した漁船の乗組員が命からがら辿り着いた陸の孤島の洞窟という雰囲気はあった。
なぜにこの演劇が心に残っていたか?
一つには演劇部員の演技とはいえ、生まれて初めて真剣な舞台を見たこともあったが、
演劇部のスター的存在に山口純子(仮名)さんがいたからかも知れない。
高校1年生の同じクラスの、すぐに男子生徒から人気者になった山口純子さんだ。
徳島市内の有名な中学校から入学してきた典型的なお嬢さんだった。
私の田舎の中学校には“純子”という女子は居なかった(順子・淳子さんは居たのだが)。
眼が大きくて、清純美人そのもので、言葉が大人びていた。
彼女は演劇部に所属し、すでに1年生でスターだった。
演劇部の練習舞台が体育館だったこともあり、雨の日の野球部が体育館でストレッチなどをしていた時に、『まぁ~ あなたたちは酷い匂いね! 1日に二度はシャワーを浴びるものなのよ!』というセリフ(あくまでも演劇上のセリフの練習中であって、我々野球部相手に発した言葉ではなかったと、今でも信じているが…)が聞こえてきてカッコよかった。

後日談
高校卒業10年後の同窓会では、挨拶されたが化粧がケバくて誰だか分らなかった。
20年後の同窓会では、残念だが皆が避ける様な面倒くさい人になっていた(欠席した私に噂話として伝わってきた)という。
以後噂は伝わってこない。

閑話休題
別海病院の近くにある“フクハラ“というスーパーも大きくて、ビール・おつまみの買い出しにはとても便利で、支援の度に行っていた。
スーパーに行く途中に【魚屋一番】という魚屋さんがあった。
たまたま宿泊時(勿論当直業務が無い夜)に、酒の肴を求めて覗いてみた。
びっくりしたことに毛蟹の剥き身200gがパックに入って商品ケースに並んでいた。
蟹は、特に毛蟹は好きだが、殻から身を外すのが面倒だと思っていた。
それでもタラバ蟹の足は比較的楽だが、毛蟹は大変だと思っていたのにそれが剥き身で売っていたのだ。
しかも1パックが1000円と、蟹缶の値段と比較しても驚くほどで関東に住む我が財布には格安だった。男が食品の値段に詳しいのは、ちょっと恥ずかしいのだが…
交渉すると、冷凍で発送してくれるという。 家人の機嫌を取るには最適と判断した。
今でも年に2~3度(その頻度で機嫌を取る必要を感じているということか?)は注文して冷凍宅急便で送ってもらっている。

通算10回は支援に行っただろうか?
支援の終了が決まった最後の宴会を、仲良しこよしの山内先生と二人で、いつものように寿司屋の”双葉“で開催した。
オヤジさんも交えて別れの酒を酌み交わしていた時に、お互いの歳のことが話題になった。
それまでなんとなくオヤジさん>山内先生>私の順だと、私は自信をもって推測していた。
『それじゃあ イチニノサンで 正直に それぞれが自分の歳を宣言しよう!』
⇒結果は、予想とは真逆であったので、3人とも(私以外の二人もそれなりに自信があったようにも思ったが)驚いて、宴会は終了した。

山内先生とは、今でも時にメールを交わしている
“神の気まぐれ”は二人をうまく引き合わせてくれたのだ

Betsukai Hospital Blues         DR.住永 作詞真似事

別海周辺 観光スポットたくさんあるぜー
夜の温泉つかりゃあ 楽しいぜー
シマフクロウにもあえるぜー
昼のドライブ 平野をぶっ飛ばせー
気が付きゃ パトカーすぐ後ろー
窓を開けたら ハエに気を付けろー
ここは別海みんなのHospitalBlues
鮨屋の双葉は“ジャンボホタテバーガー”喰わせるぜー
別海夜の飲み屋は 朝まで歌えるぜー
朝から病院 忙しいぜー
別海ダニは 示指頭大ほどでっかいぜー
朝も昼も夜も 病院働いているぜー
休日も働く別海HospitalBlues
遊ぶ暇ない別海HospitalBlues
ここは別海みんなのHospitalBlues